こんにちは。
フォトグラファーのカズナカイです。
このページを見て下さってありがとうございます。
せっかくなので、まずは自己紹介させてください。
K-compass 代表
カズナカイ(中居和彦)
1983年2月18日生まれのAB型
北海道生まれ北海道育ち
大卒→会社員→フリーランス
2022年、札幌市近郊の小さな町に家族で移住し、
妻と二人のこどもと一緒にささやかな暮らしを営んでいる
ここからは、僕が40歳という世間的に遅めのタイミングで、
独学からフォトグラファーの道を選んだ背景をお話します。
少しだけ、お付き合い頂けたら嬉しいです。
写真に囲まれて育った僕
僕の父親は写真好きな人で、家には分厚いアルバムとたくさんの写真がありました。
NIKONのフィルムカメラ。
45年前のカメラやレンズ。
実家には、今でも僕や姉の写真が額に入れて飾ってあります。残念ながら僕らにはその写真を撮った経緯はほとんど記憶にないのですが、、
きっと両親にとっては大切な、忘れたくない思い出なのだろうと思います。
自分が親側に立ってみて初めて、「子どもとの関わり方」を考えるようになりました。
古い写真がたくさんあったおかげで、僕は家族に愛されて育ったことを改めて自覚することができたように思います。
家族に言葉で「愛してる」と言える日本人は少ないと思います。だけど、写真に写し取られた表情や距離感・空気感から、愛や絆を感じ取ることは誰にでもできる。
他にも、こんなことも。
こうして並べてみて面白がっているのはたぶん僕だけだと思うのですが、、
意識したわけでもないのに同じような表情・ポーズをとってしまうのは、遺伝なのかもしれません。笑
ところで世界で最も古い写真は、200年ほど前のものだそうです。
保存状態さえ良ければ、あなたの生きた証、家族の絆、先祖の歴史を、ずっと伝えることが出来る。
これってちょっとだけ凄いことだと思いませんか?
カメラに初めて触れた
北海道の大学を出て、僕は飲食店で3年働きました。
「ありがとう」のやり取りが日々生まれる現場は楽しいものです。その影響から、感謝の空気が循環するような仕事っていいな、そういう人生が良いな、と漠然と思い描くようになりました。
この頃から、カメラにハマり始めました。
最初の頃の僕はリコーのコンパクトデジカメが相棒。
花や空など、他愛もないものを撮っては遊ぶだけで満足でした。
背景がぼけるのが楽しい、ちょうちょの細部まで写し止めることが出来るのが楽しい。
そこで見た感動や発見を、家に持ち帰り、振り返って眺めることができる。
道端の雑草には全て名前がついていて、よ~く観察すると小さくてきれいな花が咲いていたりする。ちっぽけな昆虫の造形、伸びた影のカタチ、葉についた草露ひとつ、今でも心がワクワクしてしまうのですよね。
転機
人の価値観が変わる瞬間は、実は人生には何度も訪れている。
そのことに気づいたのは、30代を過ぎてからでした。
結論として、僕はいくつかの『転機』をきっかけに、
「このままの働き方で、人生の終わりに後悔しないのか」
「自分が本当に選びたい道はなんなんだろう」
「仕事を通じて、感謝と笑顔が生まれる瞬間に立ち会いたい」
生き方そのものについて深く考えるようになりました。
その答えとして、40歳という年齢でフォトグラファーとして生きていく決心をしました。
父の事故
1つ目の転機。
2016年2月21日、父が雪道で転んで頭を打ち、救急搬送されました。
「そんな理由で?」と思われるかもしれませんが、そんな理由で、人生は180度変わってしまうのです。
父は奇跡的に一命を取り留めたものの、脳に重い障害を負いました。
皮肉なことに、それは家族で還暦祝いをした数カ月後の出来事で、家族のために何十年も仕事漬けだった父と母の「第二の人生の門出」、だったはずでした。
父の姿を撮るのは不謹慎ではないか、と迷いました。
でも回復すればこれも人生の1ページになるはずだと、僕は泣きながらシャッターを切ったことを今でも忘れられません。
この写真は、僕にとって特別な意味を持つ一枚です。
今は立って数歩歩けるようにまで回復した父の奇跡のスタート地点として。
そして、
人生は、まったく予想のできない未来へとつながってるぞ、という警句として。
ちなみに、父は時折子どもに戻ってしまうけれど、今も元気に暮らしています。
新しい家族
2つ目の転機。
それは娘が我が家にやってきてくれたこと。
信じられないくらい小さな爪や、小さなモミジのような手指、ふんわり香るミルクの匂い、その小ささからは想像できない身体のバネ、もちもちほっぺ。
ただもう、健康で生きてくれているだけで感謝なんです。
着飾ってカッコつけなくて良い、ありのままでいい。
一緒に生きた、過ごした時間がどれだけ素晴らしかったか。
あとになって振り返るのに、普段着じゃないほうがおかしいでしょう?
だから、
可愛い衣装を来てなくてもいい。
特別じゃないいつもの公園でもいい。
よだれと鼻水まみれの服でもいい。
ギャン泣きしてても駄々こねて怒っていてもいい。
切り取られたシーンに、見た人が想像する自由と楽しみがある。
このとき、なにしてたっけ?とか、
確かまだ喋れなくてね、とか、
ムチムチの太ももが、こんなに長くなって…!
とか。
いつか大きくなった時、彼らが親になった時。
キミたちはこんなに愛されていたんだぞ。
たくさんの愛と笑顔をくれてありがとな。
ぼくたちは離れていても、いつも一緒だよ。
ってことを、写真はそっと伝えてくれるもの、だと思ってます。
そういう家族でありたいと願い、僕は今でもほぼ毎日、シャッターを切っています。
写真を撮ってくれませんか、と言われ
3つ目の転機。それは仕事の先輩から、「ビジネスで使う写真を撮ってほしい」と頼まれたこと。
知り合いからの頼まれごととは言え、ありがたいことに報酬をいただく「仕事」です。
お金を頂いて撮る以上、プロとしての価値を提供することはマスト。
もちろん最初は不安だらけ。でもやると決めたからには中途半端は許されません。
だからロケハンも全力、写真のインプットも全力、カメラの技術や機材への投資も全力。持てる力を総動員して現場ごとにベストを尽くしてきました。
そして初めてのプロフィール撮影を皮切りに、
- ヨガや幼児食育のインストラクター
- カウンセラー
- SNSディレクター
- WEBデザイナー
- コンサルタント
- 会社経営者
といった50名以上の方々のビジネスポートレートを撮影してきました。
基本はロケーション撮影が中心ですが、
- セッション風景の撮影
- コミュニティ・サロンのセミナーやイベント、懇親会撮影など
- スタジオ撮影、白ホリでのライティング撮影
など、様々なビジネスシーンで役に立つ写真素材の撮影も承っております。
そして現在
家族も増え、札幌から近郊のこじんまりとした町に平屋の一軒家を建て、2022年末に家族で移住しました。
僕も妻も、元々が田舎の生まれ。
田んぼや森、広い空、静かな朝、草と土の匂いとともに育ちました。
多少不便にはなりましたが、思い切って都会を出た決断は正しかったと思っています。
これまでのビジネス・プロフィール撮影は今まで以上に活動していくつもりです。個人で活動している起業家、フリーランスの方は、ぜひお任せください。
そしてビジネスプロフィール撮影で培った、その人本来の笑顔を引き出す撮影とコミュニケーションの技術を家族写真に活かしています。記念日はもちろん、家族の日常写真、カップル写真なども承っています。
当たり前の日常の風景には、あなたの人生のすべての輝きが詰まっている。
見落としがちな、かけがえのない日々の煌めきを、写真を通じて伝えていく。
これが、僕の使命だと確信して、活動を続けていきます。